ふるさと納税で選べる「民藝」焼き物編

ふるさと納税で選べる「民藝」焼き物編

「貴方がたはとくと考えられたことがあるでしょうか、今も日本が素晴らしい手仕事の国であるということを。」

柳宗悦氏が昭和初期に日本中をめぐり、地域に根差し庶民が日常の中で用いるために作られ品物をまとめた「手仕事の日本」の書き出しです。
柳氏らはこのような、日常の用に忠実で、作り手の意識を超えた飾り気のないものたちにこそ美が存在することを見出し「民衆的工藝」「民藝」と名付けました。

かっこつけない、見栄を張らない、高いスキルがありながらそれを驕らない。
なんなら、そのすごさに自身が気づいてさえいない。 そんな素朴な内面があるからこそ凛と美しい。
これが人なら男も女もほれてしまう、そんな品物たちのことです。(解釈が雑すぎるかな)

簡単に言えば、上記の通りなのですが、「民藝とは何か」深く考え出すと難しく、様々な解釈があります。
観光地のお土産屋さんに並ぶ郷土玩具をイメージする人、柳が選んだもののみが民藝だという人、機械生産であっても実用本位であれば民藝だとする人。
そもそも「これこそ民藝だ」と言ってしまえば「民藝」がブランド化され、その言葉で飾られた意識的なものになってしまうという矛盾もあります。
また民芸的なものにしようと、郷土的な背景のない「民芸調」の品物も存在します。
逆に伝統的であり続けようとして、時代に合わせて変わることができず、正直に本音を言ってしまうと魅力を失ってしまったようなものも多くあります。(主観です。)
当然、機械化、大量生産に真っ向から負けて消えてしまったものも多くあります。

それでもなお希望を込めて、令和の今も「日本が素晴らしい手仕事の国である」と言いたいし、柳が見つけた民藝という概念は、私たちの生活を見直すためにも重要な示唆を与え続けてくれると思います。

さて、「ふるさと納税」というのがあります。
自分の応援したい自治体に寄付をすると、相応の税金が免除され、その自治体から返礼品がもらえる仕組みで、地域振興を狙ったものです。
そして返礼品の中には、その土地で作られ続けている魅力的な手仕事の品物も多くあります。

普段、百円均一でお皿などを購入している人もふるさと納税を通してなら、コストを抑えて民藝のお皿などを手に入れられ、特定の販路しか持たなかった生産者もふるさと納税サイトを通じて従来より多くの人の目に留まる機会を手に入れられます。

つまり、民藝の品物とふるさと納税は非常に親和性が高く、民藝を(勝手に)応援したい身としては、どんどん活用されて欲しいと思っています。
柳がしたように手仕事をめぐり日本中を行脚することは難しいですが、代わりにふるさと納税サイトを使って日本中をめぐり、今なお残っている民藝品をピックアップしました。
これが無茶苦茶大変でしたが、旅を終えた今言えるのは一言。
「今も日本が素晴らしい手仕事の国である」ということです。

民藝品の選び方

民藝をどう考えるかというのはすごく難しいため、以下の方法で選びました。

・「手仕事の日本」で紹介されている
・ふるさと納税サイト「ふるさとチョイス」に載っている
・個人的にいいなと思う

「手仕事の日本」は、民藝概念の生みの親である柳宗悦が昭和初期のモノづくりの様子を網羅的にまとめた本であり、とりあえずここに載っているものを「民藝」としました。これだけでも400以上もありました。これを日本中めぐってまとめきったとは並大抵の熱意ではないですよね。
もちろん柳の業績はこの手仕事の日本にまとめられたものの何倍もの量であり、なんとも途方のないことをやったなと思います。

二つ目の条件「ふるさとチョイスに載っている」かどうか。ふるさと納税のサイトは他にもたくさんありましたし、全サイトで調べようと思っていたのですが、正直大変すぎて挫折しました。
とりあえず、ふるさとチョイスは掲載数No.1ということなのでここを選びました。
このサイト内にも「民芸品・工芸品」というカテゴリがあり、27,000近くも登録されています。ここを見ていくと、なんというか、「民芸品」ってすごく広い意味で解釈されているなという感想を持ちます。

最後の「個人的にいいなと思う」は、お前の視点なんか入れるな、柳宗悦の視点と並べるなと言われそうです。私もそう思います。
しかし、この条件を入れないと対象が100個近くもあるため、そこから個人的な好みで取捨選択します。
必然的に自分の金銭感覚的に対して高すぎるものは選びませんでした。

今回は焼き物編、陶磁器の中から選びました。

なお、ふるさと納税サイトに載せられているものはしょっちゅう変わるため、随時更新します。(最終更新日2020/7/26)

沖縄県 読谷村 からから

多くの日本の窯場の中でも、最も美しいものを焼いている箇所の一つに数えられねばなりません。また窯場の村としても大変に美しく、訪ねる人は、受ける印象を鮮やかに胸に残すでありましょう。

「手仕事の日本」p.244
カラカラ♪

みんな大好き、沖縄の焼き物やちむん。
チューカー(土瓶)、マカイ(茶碗)、ダチビン(酒瓶)など呼び名も形状もほかの土地とは異なる焼き物たちは、沖縄の暮らしに根付いた文句のつけようのない民藝です。
お皿一つとっても、横から見たら朝顔のように広がる形は、独特です。汁気の多いチャンプルーを盛るためかなと想像します。

柄も魚やデイゴなど沖縄らしいものをこれでもかと力強く描かれます。

ふるさと納税にもたくさんありますが、その中から選んだのはカラカラと呼ばれる酒器です。空になるとカラカラなるそうです。
いい形、特に細い注ぎ口がかわいい。
泡盛をこれで飲んだらおいしいんだろうな。

福岡県 東峰町 小石原焼の八寸皿

小石原と呼ぶ窯場がありますが、小鹿田の皿山はその系統を引くものであります。この小石原でもよい雑器を見かけます。

「手仕事の日本」p.223
飛び鉋、刷毛目、打掛と盛りだくさんの柄。かっこいい

沖縄のやちむんと並んで人気の焼き物の産地といえば大分の小鹿田焼きですが、その先祖にあたるのが福岡の小石原焼きです。

小鹿田焼きでは一子相伝で技術が伝承されており、形も技法もよく保存されている一方で、小石原焼は良くも悪くも新しいことに挑戦している印象があります。
ただ、ふるさと納税に載っているのは、飛び鉋、刷毛目、打掛と伝統的な技術が盛りだくさんのお皿です。
良いお皿は、料理をおいしくしてくれます。料理を頑張ろうと気張る必要はなく、レトルトカレーだって何倍ものごちそうになります。

小鹿田焼きと小石原焼きはそっくりですが、小石原焼きのほうが若干土の色が淡いです。そのせいか小石原焼きのほうが優しい印象を受けます。一方で小鹿田焼きには力強さがあります。
どちらがいいということではなく、どちらも違うということです。(そして違うことに気づくとどちらも欲しくなる。)

ところで、民藝は「用の美」と表現されるように、使うこと本位に作られています。
じゃあ、機能をもたない飛び鉋や刷毛目のような模様をつけることは矛盾するのでは?と思いませんか。
ここでまた、柳氏の言葉を借りましょう。

用とは物への用でもあり心への用でもある。器物はただ使うのではなく、見たり触れたりして使うのである。もし唯物的意味にのみとるなら、例えば模様というようなものは全然無意味となろう。しかしよき模様は用の働きを増してくるのである。かかる意味でそれもしばしば用のなくてはならぬ一部になる。(中略)ちょうど料理という時、ただ食物ということのほかに、美しく盛られ、味わいよく調理された食物を意味するのと同じである。そうしてこのことが食欲を助けてくれる。これと共に、心に対してのみの用というがごときも無意味である。それは料理の模型を食物と呼ぶことが意味のないのと同じである。用とは物へのみの(または心へのみの)不二なる「物心」への用である。

「工藝の道」p.229

島根県 松江市 湯町窯のマグカップ

出雲の産物で是非とも記さねばならないのはいわゆる「黄釉」の焼物であります。(中略)西洋では大変多いのでありますが、日本では稀であります。白土の上にかけますと、光沢のある鮮やかな黄が出ますので、一目見て特色ある焼物なことが分ります。

「手仕事の日本」p.190
色といい、形といい、おいしそう。

自分は焼き物は好きなのですが、その中でいいなと思えるマグカップになかなか出会えずにいました。
マグカップの形になっていても、どこかに湯呑や茶碗のような面影が残って違和感を感じてしまうのです。

そんな中、これはと思い毎日のように使っているのが、湯町窯の黄色いマグカップと出西窯のモーニングカップです。
両方とも島根県の窯元です。

湯町窯の黄色い器は、そのものが「おいしそう」に見えます。黄色と茶色のツートーンはカステラのように見えます。丸いぽてっとした形も相まって甘いお菓子みたいです。
コーヒーをたっぷり注げば、内側の乳白色にコーヒーが映え、やはりおいしそうです。いや確実においしくなっています。

湯町窯、出西窯ともに民藝運動に共鳴した英国人陶芸家バーナードリーチと深い関りがあります。
日本になかったマグカップを作っても自然な形になるのはその影響が多いからだと想像します。
このほかにも、バーナードリーチの指導で、エッグベーカーと呼ばれる洋風目玉焼きのための器や、スリップウェアという英国の技法を用いたお皿を生産しています。
必然的に洋食と合わせることが得意なお皿の印象です。
もちろん、伝統的な形のものも作っています。

島根県 出雲市 出西窯の縁付き深皿

楽山焼でありますが、余り茶器に沈み過ぎて、日常の生活の面とは縁遠くなりました。それよりも近時起った簸川郡出西村の窯が良い品に努力しつつあります。

「手仕事の日本」p.191
比較的新しい形だと思います。使いやすそう

民藝が伝統に根差したものをそう呼ぶのなら、柳らの民藝運動に影響を受けてから開かれた出西窯は、もしかしたら厳密には民藝ではないかもしれません。
でも生活に根差した暮らしのための器を民藝と呼ぶなら、民藝のど真ん中でしょう。
(民藝かどうかを線引きをする行為自体が野暮ではありますが)

民藝の影響を受けているため、日常の中で使うことに即した器をその土地の材料で作っています。
モーニングカップと呼ばれるマグカップは口がやや広がった形で、飲み物用としてだけでなく、スープカップとしても使える非常にいいものです。

このモーニングカップの形状を指導した英国人陶芸家バーナードリーチは著書の中で出西窯の人たちを次のように表現しています。

農夫として畑にいるときも、陶工として粘土を扱っているときも、すべて働くことが自分たちの使命の一端であると考えている。彼らは自分たちを出西同志会と呼び、美術家ぶったふりなどはしない。私は、彼らの熱心さと、直面している問題に対して示す真摯さとに、深く打たれた。

「バーナードリーチ 日本絵日記」p.123

ふるさと納税のサイトに掲載されているのは青い縁付きの深皿です。縁の形状は洋風でありながら、深さや全体の雰囲気は日本的です。
出西窯の青い器は「出西ブルー」と呼ばれ、人気があります。
サイトに載っている青は実際より明るすぎるのではないかなと思います。
もう少し落ち着いた色のはずです。

鹿児島県 姶良市 龍門司焼きの八寸鉢

苗代川と呼ぶ古い窯場があります。(中略)黒い方のは安ものとされます。ところがこの「黒もん」の方にこそ、実に見事なものがあって、(中略)ずっとよく伝統が残され、形に素晴らしいものを見出します。(中略)時勢の流れが激しいのに、よくもこんな仕事がすたれずに続けられているものと不思議に思われるほどであります。苗代川は「黒もん」があるが故に、日本で最も優れた民器を焼く窯として、褒め讃えられねばなりません。

(中略)歴史が今は竜門司というところに伝わって、よい仕事が見られます。特に今できるもので美しいのは「飯鉢」と呼んでいるもので、素地の上に白土をかけ、これに緑と飴色との釉を垂らします。色が冴えて上ると、まるで支那の有名な「唐三彩」を想わせます。安いのでなお誰にも使って欲しく思います。(中略)「しゅけ」と呼んでいる蓋物や、「からから」と呼ぶ醤油注など、皆よい家庭の友となるでありましょう。

「手仕事の日本」p.221
縁の膨らんだ形もかわいい。

柳氏絶賛です。こんな誉めるかというほど誉めています。そして令和の今も素晴らしい産地です。

ふるさと納税サイトの中から選んだのは三彩の八寸鉢。手仕事の日本の中でも紹介されている模様のものです。
八寸なので、立派なサイズです。ドンと食卓の真ん中に置いて、家族で取り分けるといいでしょうか。

ところで手仕事の日本の中で「からから」と呼ぶ醤油注が紹介されています。これは先ほどのやちむんの「からから」と同じものです。
実は、沖縄の焼き物のルーツの一つがこの薩摩の焼物なのです。だから土瓶などにも似た特徴が多くあります。

違うところと言えば、沖縄は唐草や魚などの柄をよく描きます。そのためか、線彫りやいっちんと呼ばれる技法が用いられます。
一方、龍門司焼は絵はほとんど描きませんが、その代わりに釉薬を流しかけるような自然の力で模様を付けます。

これもどちらがいいという話ではなく、そういう違いがありますというだけの話です。
ただ沖縄のやちむんがいろいろ取り上げられているのをみると、負けず劣らず龍門司焼もすばらしいのにな、もっと注目されてもいいのになと思います。

九州、沖縄は焼き物の激戦区ですからね。有田焼(伊万里焼)、唐津焼は当然有名で、最近だと波佐見焼も元気ですけど、やっぱり、龍門司焼の良さはもっと知られてもいいはず。

ちなみに、鹿児島の焼物は「白もん」「黒もん」があるとよく言われます。この違いは土自体の違いで、白もんは土が真っ白、黒もんは土が褐色。
だから褐色の土で形作られ、白い釉薬をかけたものは出来上がりが白くても「黒もん」だそうです。

愛媛県 砥部町 砥部焼15点セット!

伊予郡砥部町の窯は久しく名があります。材料のよい磁器などを見ると、今日品物の格がいたく落ちたことを一入残念に思います。

「手仕事の日本」p.213
これはそばちょこ。あと平鉢、丸皿も付いてくる

やけに短く、辛口な文章。今は、立派な民藝磁器の産地である砥部焼も、当時は柳の眼からは、決して素晴らしいものとしては見られなかったようです。
もちろん柳がいいと言えばいい、ダメと言えばダメという単純なものではないでしょう。
柳と同行したという英国人陶芸家バーナードリーチの言葉を別の本から引用します。

この町には、およそ十六個の窯があり、三百五十人の陶工たちがよい伝統の最後のものを守って仕事をしている。私たちは五つの手仕事場と、電気による磁器工場を見た。粘土や窯は非常に上等だったが、どこに行っても見られるように、デザインの泉は全く枯渇してしまっているのがはっきりと感じられた。同化力は消えうせ、美的混乱が支配していた。

(中略)西洋の暮しの経験のない、あるいは乏しい人たちによって作られた新しいデザインは、ほとんどが死産になってしまう。もし私たちが、西洋で、ほんとに日本人に使えるデザインをしなければならないとしたら、その不似合な結果を思って、ぞっとする。

「バーナードリーチ 日本絵日記」p.116

民藝の本を読むと「無名の工人」という言葉がよく出てきます。「我」や個性を表現しようとしない職人たちの繰り返しの作業によってこなれた形や模様に、無心の美、他力の美が表れると言います。

一方で、これとは矛盾するようですが、柳の民藝論の中では、稀にいる才能を持った個人作家の存在を肯定しており、それが堕落した手仕事に美の目標を示す役割があるともしています。

この点は、民藝の無心の美、他力の美に強く共鳴した人たちから当時反感を持たれた考えだったようです。
どっちが正しいかは置いといても、砥部焼き関して言えば、今や民藝の代表的存在になった裏には個人作家の指導が相当あったようです。

柳、バーナードリーチ訪問以後、浜田庄司、鈴木繁男、富本憲吉らが訪れ、指導したとのこと(→参考)。
そもそも食器を作り出したことも、そこに描かれている図案もこのころ以降の新しいものがメインのようです。
最も有名と思われる太い唐草模様は1970年代に始まったとか。

砥部焼の特徴は磁器でありながら、ぽってりとした厚みのある形状。特に玉縁と呼ばれる器は縁が丸く膨らんでおり、よっぽどのことがなければ割れそうにない丈夫さがあります。
讃岐うどんの器としてもよくつかわれているのを見ます。

ふるさと納税の返礼品になっているのは、そばちょこ、平鉢、丸皿が5枚ずつの計15枚セット!
なかなか壊れない器がこの量届くのはなかなかですが、間違いなくいい器です。

まとめ

「手仕事の日本」が好きで好きで、これを読むと日本中を旅したくなります。
何度も読んできました。

そして今回ふるさと納税という切り口を入れて、改めて丁寧に読み込みました。
ここに紹介したのは少しだけですが、この本の中で言及されている品物一つ一つを書き出し、それが今も作られているか調べました。

そうすると心が痛くなるほど、情報のないものがたくさんありました。全体の1/4ほどです。今作られていないどころか、かつて作られていたという記録もない。
またそれと同じくらいのものが、当時とは異なる姿になっていました。つまり、庶民のものではなく、とんでもない高級品になっていたり、技巧に凝りすぎて実用品でなくなってしまったり、独りよがりな「伝統」のまま誰が使うかも分からないものになっていたりしていました。
そうでなくても、ほとんどのところで後継者問題の言葉を見ました。

それでもまだ、生き残っているものたちの中には素晴らしいものがたくさんあります。
だから 「今も日本が素晴らしい手仕事の国である」 と希望を込めて言いたい。

本来は、こういったものは実際に触れて目で見て、買うのがいいかもしれません。
でも逆にふるさと納税をきっかけに、いつもなら手にしない人たちがこれらの品物を見つけて、使うようになるのもいいと思います。
それで興味を持って他の品物を調べたり、産地を訪れたり。

とにかく、そんなきっかけでも消費量が増えれば生産者も増えて、少しでもながく素晴らしい手仕事の国であり続けられるかもしれない。
そんなことをいろいろ考えさせられながら書いた記事でした。

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